いっしょに子どもを育てよう

夫婦で一緒にがんばろう。そう思えるまで10年かかった私たち。子どもって十人十色、夫婦の在り方もそれぞれ違う。だからみんな日々悩んでいる。それならみんなで「一緒にがんばろう」

キラキラ育児を目指した結果、ガルガル育児になってしまったお話

こんにちは、ぴよもんちです。

今日も仕事に家事育児に頑張っているみなさん、お疲れさまです。

キラキラしたっていいじゃないか

産後うつから育児ノイローゼになって、それに気づかず生きていた時のお話です。

いっちゃんを妊娠中から、それは始まっていました。

かつての私は、初めての子育てに一生懸命で、若さと持ち前の性格も相まって、育児本を丁寧に読み込むような生真面目人間でした。

どうすれば本のように子育て出来るのか、何を準備すればいいのか、心構えは?

などと考える日々で、自分の中のやるべきリストみたいなものを当てはめているような育児でした。

なにか不安要素があると、脳内で一般常識を持ち出して他者と自分を比べたり、世に出回る情報に過剰に敏感になっては調べまくっていました。

当時、仕事仕事で家に居ないのが当たり前の夫に対し、産後はどんどん愛情とは真逆の冷たい態度を取るようになっていました。

コンビニでスイーツを買ってきたよ

と夫が気を利かせてくれても素直に喜べず、

自分の好きなタイミングでコンビニに行けるっていいね!

私には出来ない贅沢だよ!

と言い放ち

私がこれだけ頑張っているのに

私はこんなに我慢しているのに…

と独りフツフツと怒りを募らせていました。

 

自分のその感覚を正しいと思い込んだまま

夫がくれる愛情表現に目もくれず

度を超えた「子を守る!」というプレッシャーを

思いきり背負おうとしていたのです。

夫は当時、「なんでそんなに必死なの?」と思っていたそうです。

同時に、その真面目さが自分にはない妻の魅力とも思って、可愛らしさのかけらもない攻撃的な私の態度にも耐えてくれていたのです。

いっちゃんは元気に成長していき、つーちゃんさんちゃんを年子で出産。

そこから仕事も再開し、更に忙しさに拍車がかかりました。

しばらくしてよっちゃん出産で、私の妊娠→出産→授乳のサイクルはいっちゃんが学童期になるまで8年近く続いていました。それは私にとって、ほぼ毎日が不眠不休の無償労働状態。

キラキラ育児を目指すあまりガルガル育児に拍車がかかった妻

            ×

仕事を頑張ることだけが唯一の愛情表現である口ベタ夫

本来なら、二人いることで上手くいくものも、これでは台無しです。

 

その結果、日常生活で出来上がったルーティンは最悪でした。

夫の見送りをする余裕なんて皆無、会話が無くて、たまに口を開けば夫婦喧嘩が当たり前。

せっかく会話の時間が持てても私が最初に言葉で攻撃してしまい、夫は怒りが我慢できなくなると1週間でも1ヶ月でも口を利いてくれない。

そして、それを子どもは不安そうに見ている…

という状況が常でした。

子どもの心身の発達にも、胎教にも最悪だったと思います。

 

そしてある日、いつものように喧嘩がヒートアップ。

私はその場に居るのが嫌になり、怒りに任せ子どもを連れて外出しました。

いつものように…なんて、なんの保証もないのに。

 

その夜子どもと一緒に帰宅すると、どこにも夫の姿はなく、テーブルの上に夫の字で

もう耐えられません

出ていきます

と書かれた置き手紙が1枚置いてありました。

その時は、どうせすぐ戻って来ると思っていた私。

あれだけ喧嘩で言い合っても、一緒にいてくれたのだからと。

こんなにかわいい子たちが待っているのだからと。

 

結局、夫が帰ってくることはありませんでした。

その時の私は、夫の気持ちも心理状態も今後どうしたいかも一切分からなかったので、ただひたすら帰りを待つ日々に、心身共に疲弊していくばかりでした。

やっと連絡が来たと思ったのも束の間、メールにはただ一言、「実家で頭を冷やして考えたい」とだけでした。

夫が居なくなり本当のワンオペとなってしまったので、不眠、涙が止まらない、消えてしまいたいという気持ち…いろんなマイナス思考ばかり持ちながら、ネガティブオーラ全開で毎日子どもと一緒にいました。

その頃を子どもに味わわせてしまった後悔は一生ものです。

最初は周りに事情を話しても、「そのうちふらっと帰ってくるって!」と真剣に取り合ってもらえませんでした。

しかし、新年を迎え、年度が変わっても夫は帰ってきませんでした。

その間にさすがに心配されたのか、周りに勧められて精神科やカウンセリングを受けました。

ただ、育児を一人ですることがしんどくて引き起ったことだけれど、子育てを替わってくれる人が誰もいないという現実は変わらず、同じ子の親である夫が居なくなった今、私にとっての希望が何かも分からない状態でした。

しばらくして、家のポストに夫の代理弁護士と名乗る人から、離婚調停の申し立てをしたという趣旨の文書が届きました。もう後戻りはできないのだと思いました。

離婚に関して全く無知だったため、時間を見つけて何度も役場に相談したり、高い弁護士費用を払う余力もなかったので、無料相談を受け付けている弁護士にアポを取って知恵をいただいたり…

毎日、不安と恐怖で崩れてしまいそうなのに周りのみんながイキイキして見えて、自分と比べて勝手に落ち込むことを繰り返してばかりでした。

自分の心と子どもを守りたい一心で、攻撃的姿勢を取ることでぎりぎりの状態を保っていたのですが、そんな心の内など言葉にしなければ分かりませんよね。

結果として、夫は私を「話し合いのできない相手」と認識し弁護士を通して離婚調停を起こしたわけです。

その時は、夫のことを

子どもを捨てて逃げ出した卑怯な人

一番助けてほしい時に助けてくれない人

と思い続けていました。

 

私の本音は夫を責めて悪者にしたいのではなく

限界、助けて」と言うことだったのに

それが上手くできなかったのです。

夫と音信不通のまま離婚調停となり、意を決して相談に行った実親から

すべて日頃の行いに出る。自分で責任を取りなさい

と門前払いを受けた時は、自分の態度が誰も幸せにしないのだと思うと同時に、そうなってしまった自分の性格に嫌気がさしました。

拠り所もなく、とりあえず離婚に向けて子どもと自分に不利がないように書類を集めていました。

私が逃げたら、子どもたちが生きていけない。

私が守らなくちゃ…でも…

本当にギリギリだったので、本音は「育児ストレスから一時でも逃げ出したい」でした。

それに、夫を嫌いで別れたいわけでも、出産前から一人で子どもを育てる覚悟を持っていたわけでもありませんでした。

出来ることはしようと思い、夫が離婚調停を起こすなら、私からは円満調停を申し立てようと思いました。

ひとりで朝4人を起こし着替えやご飯、学校や保育園に見送り自分は仕事。そして帰宅後は宿題チェック、遊び、夕食、風呂に寝かしつけ…。

自分の精神は追い込まれる一方だったので、その日、無事に子どもが眠りにつくのを見届けるだけで精一杯でした。当時は、1対4の育児にへとへとだったにもかかわらず眠ることができませんでした。本当に不安定だったのです。

 

私の思いやりのない態度が、優しい夫が離婚を考えるほどに追い詰めてしまっていたのだと思えたのは、ことが納まり家に戻ってきた夫と改めて向き合って話せたときでした。

別居中の夫から離婚調停を申し立てた以上、私としては、夫婦関係が終わってしまうものと思い込んでいました。

しかし夫もまた、本当は家に戻りたいのに妻の笑う顔を想像できず一人悩んでいたといいます。

夫婦喧嘩になっても、好きな気持ちは消えない

でも、さすがにこの環境で過ごすのは耐えられない

妻を変えるのが無理なら自分が環境を変えるしかない

そして一度じっくり考えよう

 

そう思ったのでしょう。

私としては、育児ノイローゼの妻と4人の子を置いてよく一人でリフレッシュできるね…

という気持ちでしたし、それは今でも変わりません。

この時の気持ちは、自分の落ち度も認めたうえで、まっすぐ夫に伝えました。

辛かったと。

私も時には一人になりたいと。

 

実際に調停というものは初めての経験でした。

夫婦が時間差で、同じ建物内に足を運び、離れた部屋でそれぞれ調停員に物申す。

なんともシュールでした。

私はそこで一気に離婚の現実味が湧いてきました。

しかし、調停員に双方別室で話した結果、私にとって、思いも寄らない結末が待っていました。

 

今回、旦那さんから離婚調停を申し立てているけれど、先ほど話を聞いたらあなたとヨリを戻したいと言っているの。

で、あなたは同時期に円満調停を申し立てたでしょ?

旦那さんの希望を受け入れられるなら、円満調停で進めるけどいい?」

と。

正直、拍子抜けでした。

脳がショートしたように何も考えられませんでした。

調停員の第一声が予想外すぎて、何より夫の真意がさっぱり理解できませんでした。

ただ、張りつめていた緊張感と、半年間を耐えて乗り切った達成感と、やっと終わったという安堵感…いろんなものが込み上げてきて、返事を返すのにだいぶ時間差があったと思います。

…え…?…は、ぃ…

消え入るよう震える声で必死に唇を動かして答えたのを覚えています。

あまりの衝撃に、自分の口が思うように動かないもどかしさ。

私のその一言で、私たち夫婦は円満調停(復縁)にて終了のかたちとなり夫の離婚調停は取り下げられました。

書類をまとめ終わった調停員さんが明るい声で夫との今後について私にヒアリングし、それでは…と別室への移動を促した時、私は椅子に座ったまま、瞼の奥にこらえていた涙が後からあとからこぼれてきて、しばらく動けませんでした。

調停員さんはそんな私の姿を見て

大丈夫よ、落ち着いて。

私たちとしても嬉しい終わり方だから

この先をちゃんと2人で考えていってね

となだめてくれました。

そこから数日後、夫が帰宅。

子ども達と一緒に出迎えました。

初日は2人で向き合って話そうとしたものの揃って号泣し、お互いぐちゃぐちゃの精神状態で頑張っていたのだと思い知りました。

最初の1ヶ月位はどこかぎこちなく過ごしたものの、ゆっくり向き合う時間を持っていった結果、今までのしがらみや思い込みを徐々に手放していくことができました。

口下手で愛情表現も分かりづらい夫が、落ち着いたころに言ってくれた

「自分も変わる努力をする」

という言葉に、私がどれだけ救われたことか。

やっと届いた。

やっと向き合えた。

そう思った瞬間です。

 

そこからは、今までの喧嘩がウソのように、毎日笑って会話をしています。

たまの口げんかも、お互いすんなり「ごめんなさい」が出るのですから驚きです。

 

やっぱり一番は、何の問題もなく夫婦円満が良いですが、育った環境が違う他人とずっと一緒に生活するって、いくら相手を好きでも自分を成長させるための修行のようなもの。

そして育児は、そんな二人の仲を時につなぎ止め、時に試練を与え鍛えてくれます。

時間はかかったし、たくさんの人に迷惑をかけてしまって、大人のモラルもへったくれもないドタバタ劇でしたが

夫婦でやり直せたこと

子どもたちが毎日幸せそうにかわいく笑ってくれること

それが当たり前の日常になる幸福感を、この先も噛みしめて生きていきたいです。

ひとりで抱え込むことは、誰も得をしないと学びました。

今は、前の自分よりちょっとだけ甘え上手になれたと思っています。

こんな私ですが、ポジティブ思考をモットーに

今は夫の多大な協力のもと

5人育児に日々奮闘中です。

明日からも元気にブログを更新させていただきますので

みなさんどうぞ よろしくお願いいたします。

 

今日も頑張るあなたにエールを!

 

 

 

monchi5-kids.hatenablog.com

 

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